日本の生業と、世界の似たサービス

日本の生業と、世界の似たサービス > 酒蔵杜氏(日本酒の醸造責任者)

酒蔵杜氏(日本酒の醸造責任者)世界の似たサービス ─ ワインメーカー/ヴィントナー(フランス・イタリアなど欧州)

杜氏制度としての確立は江戸時代(農閑期の出稼ぎ杜氏集団の形成)

共通の目的穀物や果実を発酵させ、酒として保存・熟成させる

やり方が、どう違うのか

日本|酒蔵杜氏(日本酒の醸造責任者)世界|ワインメーカー/ヴィントナー(フランス・イタリアなど欧州)
アプローチぶどうの糖をそのまま酵母でアルコールに変える「単発酵」で、畑の栽培から瓶詰めまでを一貫して手がける
使う道具(日本側)
使う素材(日本側)

⚠ 「使う道具」「使う素材」は日本側のみ調べています(世界側は同じ条件で確かめられていないため、 世界側の比較値は作っていません)。

もうひとつの世界の対比例=中国の白酒(バイジュウ)醸造職人。高粱等の穀物を「麹(曲/qu)」で糖化・発酵させる固体発酵で、日本の並行複発酵と技術的に近縁だが、麹の菌相・原料・蒸留工程の有無が異なるアジア圏の対比先。

なぜ違いが生まれたのか

日本の主原料は米で、デンプンを糖に変える工程が要る。高温多湿な気候が麹菌の力を借りることに向いていた。欧州の主原料はぶどうで、もとから糖分を含むため糖化の工程が要らなかった。

五感で味わう価値・職人のこだわり

もし消えたら、何が失われるのか

ピーク時(昭和31年)
4,073場
現在(令和3酒造年度)
1,544場
増減
-62%
4,073 → 1,544(このサイトが計算)
事業者数(現在)1,544場
事業者数(ピーク時)4,073場
ピークの年昭和31年
統計の基準年令和3酒造年度
後継者不足度★★★★★
統計の出典URL—(未確認)

失われるもの(数字にならないもの)

蔵と杜氏集団が結んできた米作農家との地場のつながり、寒仕込みの時期に蔵人が集まって暮らす季節労働の文化。

いま直面している問題

杜氏・蔵人の高齢化と後継者不足、酒蔵数の減少、国内消費量の縮小

もっと詳しく|いま、この仕事はどうなっているのか

数字はすべて、その場で出典の名前と取得日を添えています。確かめられなかったことは「確かめられなかった」と書いています。

杜氏はいま、何人残っているのか

日本酒造杜氏組合連合会(日杜連)が公式サイトで公開している杜氏組合員数の表を見ると、令和5年(2023年)の杜氏の人数は714名だった(日本酒造杜氏組合連合会公式サイト、取得日2026-09-15)。同じ表で記録が残る最も古い年、昭和38年(1963年)は3,173名。単純に引き算をすれば、60年でおよそ4分の1以下まで減ったことになる。

酒蔵そのものの数についても、手がかりがある。日本生命保険相互会社が2024年2月に公開したコラムは、国税庁のデータを引用するかたちで「清酒の製造免許場数は令和3年度で1544場」「ピークの昭和31年(1956年)の4073場と比較すると半分以上減少している」と述べている(日本生命保険相互会社「第167回 令和3年の清酒の製造免許場数は1544場。ピークと比較して半分以上減少。」、取得日2026-09-15)。国税庁自身のサイトにも「清酒の製造状況等について」という資料一覧のページがあるが、そこに置かれているのは年度ごとのPDFファイルへのリンクの一覧であり、免許場数そのものの数値をページ本文の中に見つけることはできなかった(国税庁「清酒の製造状況等について」、取得日2026-09-15)。

「3,173名がピーク」は、本当にそうなのか

日杜連の組合員数の表をもう少し先まで見ると、気になる点がある。杜氏の人数は昭和38年3,173名のあと、昭和39年3,672名、昭和40年3,683名と、むしろ2年連続で増えているのである(日本酒造杜氏組合連合会公式サイト、取得日2026-09-15)。この表の中だけで見る限り、杜氏の人数が最も多かったのは記録の最初の年である昭和38年ではなく、その2年後の昭和40年ということになる。「最初に記録が残る年」と「人数がいちばん多かった年」は、この表からは別の話だとわかる。

なお、昭和40年度からは表に「一般」という欄が新たに加わり、杜氏だけでなく蔵で働く一般の酒造工も組合員として数えられるようになった。そのため同年の合計28,075名という数字は、杜氏だけの人数とは性格が違う点に注意がいる。

なぜ日本酒とワインは、こんなに造り方が違うのか

ワイン造りは、ぶどうの糖をそのまま酵母でアルコールに変える「単発酵」である。一方、日本酒造りは、蒸した米に麹(カビ菌)を繁殖させて糖化を進めながら、同時に発酵も進める「並行複発酵」という方式をとる。米にはもともと糖が含まれていないため、まずデンプンを糖に変える工程が要る。ぶどうはもとから糖分を含むため、そのまま発酵させられる。日本の高温多湿な気候が、麹菌の力を借りるこの方法に向いていたとされる。

似た発酵の考え方を持つ酒は、アジアにもある。中国の白酒(バイジュウ)は、高粱などの穀物を「麹(曲)」で糖化・発酵させる固体発酵という方式をとり、技術的には日本酒の並行複発酵に近い系統に位置づけられる。ただし使う麹菌の種類や原料、蒸留するかしないかといった点で、日本酒とは別の酒に育っている。

もろみの中では、何が起きているのか

岩手県の酒蔵・南部美人が自社サイトで公開している解説によれば、仕込みは「初添」「仲添」「留添」と呼ばれる3段階に分けて行う。1回目の「初添」を仕込んでから1日おき(「踊り」と呼ばれる)、2回目の「仲添」、3回目の「留添」と、だんだん米の量を増やしながら仕込んでいく。仕込み温度も初添が約13度、仲添が約8度、留添が約6度と段階的に下げていく(南部美人公式サイト「南部美人の酒づくり『もろみ』編」、取得日2026-09-15)。

この蔵では、初添の仕込みだけ、大きなタンクではなく「枝桶」と呼ばれる小さな桶を使う。岩手県北の冬は仕込み蔵の室温も低く、大きなタンクに少量の初添を仕込むと品温が下がりすぎて酵母の初期発育を傷めてしまう。そこで小さな枝桶を使って保温し、13度という狙った温度で仕込む。あとで大きなタンクに移し替える手間が増えるが、この蔵では今もこの方法を続けているという(同、取得日2026-09-15)。

もろみの表面に立つ泡は、仕込みから5日目から7日目ごろに最も高く盛り上がり、その後は自然に消えていく。消える直前には「玉泡」と呼ばれる状態になり、12日目ごろにはすっかり泡がなくなる。この泡のない状態を「地」と呼ぶ。この間、人が手を加えるのは朝1回の櫂入れ(かき混ぜ)だけだという(同、取得日2026-09-15)。分析機器で日本酒度やアルコール度数を測ることもできるが、南部美人では蔵人の経験の浅さもあり、泡の状態でも発酵の進み具合を判断できるよう、あえて泡の出る酵母を使い続けているとも説明されている(同、取得日2026-09-15)。

蔵の中を、実際に見に行くことはできるのか

灘(兵庫県神戸市・西宮市)、伏見(京都市)、西条(広島県東広島市)は、日本三大酒処と呼ばれる産地である。千葉県の飯沼本家は、酒蔵見学のツアーを実施している酒蔵のひとつで、見学コースには甑(こしき、米を蒸す釜)、酒母室(清酒酵母を純粋培養する部屋)、仕込みタンク、麹室などが含まれる。この蔵の仕込みタンクでは、櫂入れ作業をコンピューターで自動化しつつ、伝統の技で醸すことを「機械と技の融合」と呼んでいる(飯沼本家公式サイト「酒蔵見学」、取得日2026-09-15)。

蒸された酒米から立ちのぼる白い湯気、麹室に満ちる蒸し米と麹菌の甘い香り、もろみタンクの中で泡が消えていくかすかな音、搾りたての新酒に残る微発泡のガス感。蔵の見学は、数字では伝わらないこうした感覚を確かめに行く時間でもある。

消えていく数字の一方で、世界はどう見ているのか

文化庁は2024年12月、「伝統的酒造り」がユネスコ無形文化遺産の代表一覧表に記載されることが決議されたと発表した。政府間委員会の審議で「記載」の決議がなされたのは2024年12月4日(日本時間12月5日)のことである(文化庁「『伝統的酒造り』のユネスコ無形文化遺産代表一覧表登録(代表一覧表記載)」、取得日2026-09-15)。

杜氏の人数も酒蔵の数も減り続けている。その一方で、この技術そのものは国際的な文化財として認められたことになる。減っていく数字と、広がっていく評価が同時に進んでいる。このふたつは、どちらも本当のことである。

出典

出典

産地|灘(兵庫県神戸市・西宮市)、伏見(京都市)、西条(広島県東広島市)=日本三大酒処(兵庫県 広島県) 世界の対比先|欧州

English: Toji (Sake Master Brewer)(A toji is the master brewer who leads a seasonal crew through Japan's parallel fermentation of rice into sake.)