日本の生業と、世界の似たサービス > 江戸硝子職人
江戸時代(18世紀初め、日本橋の加賀屋久兵衛・浅草の上総屋留三郎が創始したとされる)
| 日本|江戸硝子職人 | 世界|ヴェネチアの吹きガラス職人(ムラーノ島、1291年から続くギルドの伝統) | |
|---|---|---|
| アプローチ | 「宙吹き」「型吹き」「押し型」の技法で、単色または色ガラスを被せた優しい風合いのガラスを作る | 独自の配合や金属酸化物で鮮やかな色ガラスを作り、レース状装飾等の高度な加飾技法を発達させた |
| 使う道具(日本側) | 吹き竿、坩堝(るつぼ)、窯(グローリーホール) | |
| 使う素材(日本側) | 珪砂、色ガラス原料 | |
⚠ 「使う道具」「使う素材」は日本側のみ調べています(世界側は同じ条件で確かめられていないため、 世界側の比較値は作っていません)。
もうひとつの世界の対比例=チェコのボヘミアン・グラス職人(独自の透明度の高いガラス配合で知られる欧州のもう一つの吹きガラス産地)
江戸のガラスは庶民の日用品(簪・風鈴・眼鏡等)として発達し、素朴で実用的な吹きガラスが主流になった。ヴェネチアは共和国が技術者の国外流出を厳重に禁じるほど技術を秘匿し、王侯貴族向けの美術品として高度化した
| 事業者数(現在) | —(未確認) |
|---|---|
| 事業者数(ピーク時) | —(未確認) |
| ピークの年 | —(未確認) |
| 統計の基準年 | —(未確認) |
| 後継者不足度 | ★★★★★ |
| 統計の出典URL | —(未確認) |
200年変わらぬ製法で作られる柔らかい風合いと、江戸切子の「素地」を支える技術基盤
後継者不足(現役の職人は少数とされる)、燃料(ガス)価格高騰による窯の稼働コスト増
数字はすべて、その場で出典の名前と取得日を添えています。確かめられなかったことは「確かめられなかった」と書いています。
東京都産業労働局の「東京の伝統工芸品」ページを見ると、江戸硝子について「主な製造地」は墨田区、江東区、江戸川区ほかとあり、連絡先として一般社団法人東部硝子工業会(墨田区両国4-36-6)が記されている(東京都産業労働局「江戸硝子」、取得日2026-09-15)。ただし、このページ本文の中に、いま何社が江戸硝子を作っているのかという事業者数の記載は見当たらなかった。現在の事業者数は、確認できなかった。
同じ東京都産業労働局のページには、江戸硝子の始まりについてこうある。「江戸における硝子製造は、18世紀の初めに、日本橋通塩町で加賀屋(皆川)久兵衛が鏡や眼鏡等を、浅草で上総屋留三郎が簪や風鈴等を製作したのがはじまりとされている」。明治10年の第1回内国勧業博覧会の出品目録には、加賀屋久兵衛とその子・熊崎安太郎の名前が記載されているという(東京都産業労働局「江戸硝子」、取得日2026-09-15)。組合については、「明治12年に"東京はり製造人組合"が設立され、その後の改変を経て、昭和24年に…一般社団法人東部硝子工業会が設立された」と記されている(同、取得日2026-09-15)。
江戸硝子は、宙吹きや型吹きで作られたガラスそのものを指す。切子細工が施される前の、いわば素地にあたる。この素地が加工所に送られ、表面をカットする加工が施されたものが「江戸切子」と呼ばれる。江戸硝子と江戸切子の技術・技法・原材料を紹介する「日本の伝統工芸品 総合サイト」は、宙吹きや押し型で作られたガラス製品が「主に江東区や墨田区にある加工所に送られて、そこで様々な加工が施されます」と説明している(「日本の伝統工芸品 総合サイト」江戸硝子つくり方、取得日2026-09-15)。
同サイトによれば、ガラスの材料は珪砂(けいしゃ)という珪酸分を主成分とする石英の砂で、溶解炉の中の「るつぼ」で1400℃まで熱せられ、ドロドロの状態になる。「ガラス種は冷えると固まってしまうので、溶解炉は24時間休みなしです」という(「日本の伝統工芸品 総合サイト」江戸硝子つくり方、取得日2026-09-15)。よく熱した金属製の吹き棹にガラス種を巻き取り、冷めないように熱を加えながら、吹き棹のもう一方の先から息を吹き込む。型を用いず宙空で吹いて成形するため、この技法は「宙吹き(ちゅうぶき)」と呼ばれる(同、取得日2026-09-15)。
吹き棹に最初に巻き付けたガラス種のかたまりは「下玉(しただま)」と呼ばれ、これに2〜3回ガラス種を巻き付けることで大きな作品を作る。形を整える鉄のお椀のような道具は「リン」と呼ばれ、新聞紙を折りたたんで作る「紙リン」を使うこともある。「扱っている素材が高温で不安定なため、まさに一瞬の油断も許されない緊迫感が工房全体に漂っています」とサイトは記す(同、取得日2026-09-15)。「お皿の形ができるまでたったの15分! 一晩かけて徐々に冷ましてようやく完成です」ともある(同、取得日2026-09-15)。
吹き棹と反対側には、「ポンテ」と呼ばれるガラスのかたまりを、ポンテ棹を使って取り付ける工程がある。「ポンテとは、イタリア語で『橋』を意味します。ガラスを橋渡しするという感覚です」とサイトは説明する(「日本の伝統工芸品 総合サイト」江戸硝子つくり方、取得日2026-09-15)。吹き棹の根元を何度も削る「線入れ」という作業は、製品を吹き棹から切り離すための準備で、エアーを当ててその部分を冷やして固める。「ここでも職人さんの動きには一切の無駄がなく、二人の息はピッタリと合っていました」という(同、取得日2026-09-15)。
ポンテの跡として残る盛り上がった部分を平らにする加工技術は「平切子(ひらきりこ)」と呼ばれる。業界では平切子の職人を「平屋(ひらや)」、江戸切子の職人を「切子屋(きりこや)」と呼ぶという(同、取得日2026-09-15)。磨きは4段階に分かれ、1段階目は粗目の金属製研磨機、2段階目はもう少し細かい金属製研磨機、3段階目は細かい砥石、そして最終の4段階目には桐の木でできた研磨機を使う。「セリウムの粉末を研磨剤として使い、高速で回転する研磨機にガラス製品を当てて、ガラスの表面を少しずつ溶かしながらピカピカに磨いていきます」とある(同、取得日2026-09-15)。この研磨機について、サイトは「国内でも恐らくここにしかない貴重な研磨機」とも記している(同、取得日2026-09-15)。
東京都産業労働局のページによれば、日本の硝子製造は弥生時代に始まり、平安時代から室町時代にかけて一度中断したが、16世紀から17世紀にかけて中国・ポルトガル・オランダから製法が伝えられて復活したとされる。「硝子をかつて、瑠璃、はり、ビードロ、ギヤマンと呼んでいたことからもわかる」という(東京都産業労働局「江戸硝子」、取得日2026-09-15)。近世のガラス製造は長崎から大阪、京都を経て江戸に伝わり、日常食器類や瓶等の製造に加え、「佐久間象山等の要望を受けて、寒暖計や比重計等の理化学用品が作られるようになった」。明治初期には欧州の近代技術も取り入れ、多様なニーズに対応するようになり、東京の地場産業として発展したという(同、取得日2026-09-15)。伝統的な技術・技法としては、宙吹きと型吹きからなる「吹きガラス」、雄雌の両型で成形する「型押し」が挙げられている(同、取得日2026-09-15)。
産地|東京都墨田区・江東区(東京都) 世界の対比先|その他・分類なし
English: Edo Garasu (Edo hand-blown glass)(Glass hand-blown using free-blowing, mold-blowing, and press techniques passed down for 200 years, producing the plain glass blank onto which Edo Kiriko's facets are later cut.)