日本の生業と、世界の似たサービス > 土人形師(帖佐人形)
江戸時代初期(文禄・慶長の役、1592〜1598年、以後)
| 日本|土人形師(帖佐人形) | 世界|ポーランドの民芸陶器工房(異国での経験や職人の来歴が地域の民芸品の様式に影響を与え、後年地域固有のブランドとして確立した例) | |
|---|---|---|
| アプローチ | 江戸時代初期、薩摩藩主・島津義弘が朝鮮出兵(文禄・慶長の役)から連れ帰った朝鮮人陶工が、故郷を偲んで犬の焼き物を作ったことに始まるとされる。素朴な形と鮮やかな彩色が特徴で、県内の土人形の中では最も生産量が多かったとされるが戦後一時廃れ、昭和40年(1965年)に帖佐人形保存会が設立され型を集めて復元に取り組み今日に至る | 欧州では戦争捕虜や移民として渡った職人が、故郷の技術を新天地の民芸品に持ち込み、後年その土地固有のブランドとして確立する例が各地に見られ、帖佐人形が朝鮮人陶工の望郷から始まったという成り立ちと通じる |
| 使う道具(日本側) | 石膏型、彩色用の絵具・筆、素焼き用の窯 | |
| 使う素材(日本側) | 姶良の土、胡粉、顔料 | |
⚠ 「使う道具」「使う素材」は日本側のみ調べています(世界側は同じ条件で確かめられていないため、 世界側の比較値は作っていません)。
もうひとつの世界の対比例=朝鮮半島の土俗玩具、韓国の民画・民藝復興運動(王朝時代の民衆文化を戦後に保存会・研究会が復興させた例)
帖佐人形は朝鮮出兵という国際的な軍事行動の副産物として生まれた点で、薩摩焼(同じく朝鮮人陶工に由来)と共通の歴史的文脈を持つが、土人形という庶民の縁起物・玩具として発展した点で、藩の御用窯として保護された薩摩焼とは異なる発展を遂げた
| 事業者数(現在) | 1 |
|---|---|
| 事業者数(ピーク時) | 確認できていない |
| ピークの年 | —(未確認) |
| 統計の基準年 | 2,025 |
| 後継者不足度 | ★★★★★ |
| 統計の出典URL | https://www.pref.kagoshima.jp/af07/documents/88775_20250327164812-1.pdf |
朝鮮出兵から連れ帰られた陶工の望郷に由来するという伝承と、県内で最も生産量が多かったとされる土人形文化、昭和40年の保存会設立による復元の記憶が失われる
戦後一時廃れ1965年に保存会が型を集めて復元した経緯を持ち、県内最多の生産量を誇った往時の規模には及ばず、担い手は1名にとどまる
産地|鹿児島県姶良市(鹿児島県) 世界の対比先|その他・分類なし
English: Chosa ningyo (Chosa clay doll)(Chosa ningyo are brightly painted clay dolls from Aira, Kagoshima, said to trace back to a Korean potter Lord Shimazu Yoshihiro brought home from his Korean campaigns, once the most widely produced clay doll in the prefecture before a 1965 preservation society revived it.)