日本の生業と、世界の似たサービス > 織元(与那国織)
15世紀まで遡るとされ、1479年には既に機織りの記録があり、16世紀前半には琉球王府への献納品とされた。1987年に経済産業大臣指定伝統的工芸品となった
| 日本|織元(与那国織) | 世界|スコットランド・アウターヘブリディーズ諸島のハリスツイード職人(法律で産地・製法が保護された、絶海の孤島で織られる毛織物) | |
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| アプローチ | 花織・ドゥタティ・カガンヌブー・シダディの4種の総称で、花織は花綜絖で紋様を織りなす首里花織と同じ技法を用いる。日本最西端の島という隔絶された環境の中で独自の織物文化を育んできた | アウターヘブリディーズ諸島の織り手が、島に伝わる手織機(現在は法律でハリス・ルイス・アイリー・バラの各島内での製織が義務づけられている)で羊毛を織り、ツイード地を仕立てる |
| 使う道具(日本側) | 手織り機(地機)、染料を煮出す道具 | |
| 使う素材(日本側) | 木綿・絹等の糸、琉球藍等の植物染料 | |
⚠ 「使う道具」「使う素材」は日本側のみ調べています(世界側は同じ条件で確かめられていないため、 世界側の比較値は作っていません)。
もうひとつの世界の対比例=スコットランド・アウターヘブリディーズ諸島のハリスツイード職人。法律で島内製織が義務づけられ、絶海の孤島の環境が独自の織物文化を守っている点が共通する
与那国島は日本最西端に位置し、与那国織の歴史は15世紀まで遡るとされる。1479年(室町時代)には既に機(はた)で布が織られていた記録があり、16世紀前半には琉球王府への献納品として納められ、当時は役人のみが与那国花織の着用を許されていたと伝わる。1987年に経済産業大臣指定伝統的工芸品として、与那国島で作られる織物を総称して「与那国織」に指定された。絶海の孤島という地理的条件が、外部の影響を受けにくい独自の織物文化を育てた点は、同じく絶海の孤島群であるアウターヘブリディーズ諸島のハリスツイードと共通する。
| 事業者数(現在) | 確認できていない |
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| 事業者数(ピーク時) | —(未確認) |
| ピークの年 | —(未確認) |
| 統計の基準年 | —(未確認) |
| 後継者不足度 | ★★★★★ |
| 統計の出典URL | —(未確認) |
日本最西端の島で室役人だけが着用を許されたという格式を持ちながら、女性たちが使命感と誇りを持って継いできた4つの織り技法の体系。
織り手の高齢化・減少、日本最西端という地理的制約による後継者確保の難しさ、生産量の伸び悩み
産地|沖縄県八重山郡与那国町(沖縄県) 世界の対比先|その他・分類なし
English: Yonaguni-ori (Yonaguni Weaving)(A Yonaguni-ori weaver produces floral floating-weave textiles on Japan's westernmost island, a craft once reserved for royal officials of the Ryukyu Kingdom and now kept alive mainly by island women.)