日本の生業と、世界の似たサービス > 織元(読谷山花織)
600年以上前、14〜16世紀の琉球王国「大交易時代」に技術が伝来したとされる。1964年に有志による復興運動が始まった
| 日本|織元(読谷山花織) | 世界|グアテマラの先住民族織物(マヤ系民族衣装ウィピル。バックストラップ織機で幾何学模様を織り出す伝統が近い) | |
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| アプローチ | 緯糸を浮かせて模様を表す「緯浮花織」を主に、経糸を浮かせる「経浮花織」、刺繍のように糸を織り込む「手花織」等の技法で、扇を模した「オージバナ」・銭を模した「ジンバナ」・風車を模した「カジマヤーバナ」等、約30種の模様を織り出す | グアテマラ等中南米の先住民族織物は、腰に固定したバックストラップ織機を使い、経糸に幾何学模様を織り込んで民族衣装(ウィピル等)を仕立てる |
| 使う道具(日本側) | 手織り機(地機)、染料を煮出す道具 | |
| 使う素材(日本側) | 木綿・麻等の糸、琉球藍等の植物染料 | |
⚠ 「使う道具」「使う素材」は日本側のみ調べています(世界側は同じ条件で確かめられていないため、 世界側の比較値は作っていません)。
もうひとつの世界の対比例=グアテマラのマヤ系先住民族織物(ウィピル)
14〜16世紀の琉球王国は東南アジア・中国等との「大交易時代」を築き、その交流を通じて織物の技術が伝わり独自に発展したとされる。琉球王府の保護下では技法・意匠の難しさから王族階級専用とされ、読谷村の住民以外の着用も禁じられていたと伝えられる。明治の身分制度廃止と戦争の影響で一時絶滅寸前となったが、1964年に読谷村の有志が復興運動を始め、人間国宝・与那嶺貞の尽力で復活を遂げた
| 事業者数(現在) | —(未確認) |
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| 事業者数(ピーク時) | —(未確認) |
| ピークの年 | —(未確認) |
| 統計の基準年 | —(未確認) |
| 後継者不足度 | ★★★★★ |
| 統計の出典URL | —(未確認) |
一度は絶滅寸前まで衰退しながら、1964年の有志の復興運動と与那嶺貞という一人の織り手の尽力で蘇った「約30種の模様」を織り出す緯浮花織等の技法
明治の身分制度廃止・戦争による一時絶滅寸前という歴史的な断絶、複雑な花織技法の継承、後継者不足
産地|沖縄県中頭郡読谷村(沖縄県) 世界の対比先|その他・分類なし
English: Yomitanzan Hanaui (royal weave revived from near-extinction)(Yomitanzan Hanaui is a floral floating-weave textile from Yomitan, Okinawa, once reserved for Ryukyu Kingdom royalty and revived from near-extinction by village volunteers starting in 1964.)