日本の生業と、世界の似たサービス > 陶芸家・窯元(王地山焼)
陶芸家・窯元(王地山焼)世界の似たサービス ─ フランス・セーヴル王立磁器製作所の陶工(王侯貴族の庇護のもとで発達した、藩窯・官窯としての磁器づくりの伝統)
江戸時代末期・文政元年(1818年)
共通の目的権力者の庇護のもとで、一般には出回らない高級な焼き物を焼く
やり方が、どう違うのか
⚠ 「使う道具」「使う素材」は日本側のみ調べています(世界側は同じ条件で確かめられていないため、
世界側の比較値は作っていません)。
もうひとつの世界の対比例=韓国の官窯(分院里)陶工(朝鮮王朝の宮廷向けに白磁を焼いた官営の窯の伝統)
なぜ違いが生まれたのか
王地山焼は篠山藩主が京焼の名工・欽古堂亀祐を招いて始めた藩窯であったため、採算を度外視した名品づくりが可能だった一方、廃藩とともに一度消滅した。セーヴルは絶対王政期のフランス王室が国家の威信をかけて設立した官窯であったため、王政の変遷を経ながらも組織として存続した
五感で味わう価値・職人のこだわり
- 出会える舞台・空間|兵庫県丹波篠山市河原町の王地山陶器所では、展示室での展示販売のほか、工房での作陶や登り窯を無料で見学できる。入館料無料、開館時間8時30分から17時まで、火曜定休、駐車場は17台分が無料で使える。染付体験や手びねり体験(各2,000円・1時間半)のほか、第2・4木曜に開かれる月2回の教室コース(入会金5,000円、月会費3,000円)もある。
- 五感|工房では、緑がかった独特の青磁釉のうつわが並び、染付の藍色や赤絵の朱色と釉薬の違いを目で見比べられる。王地山陶器所は年に1度だけ登り窯に火を入れており、その時期には炎の熱と薪をくべる音、窯出しされたばかりの器の質感を間近で感じられる。手びねり体験では、粘土を紐状にしたり玉にしたりしながら形をつくる、土そのものの重みと柔らかさを手のひらで確かめられる。染付体験では、真っ白な素地に藍色の絵の具で模様を描き入れていく工程があり、筆の運びによって色の濃淡が変わっていく様子を確かめられる。
- 異常なこだわり|開窯にあたり、当時老中だった篠山藩主・青山忠裕は、京都で修行した陶工・欽古堂亀祐に直接指導を命じた。人形師の家に生まれた亀祐は、柿本人麻呂や布袋などの置物づくりを本領とし、1825年に作った柿本人麻呂の置物は顔の造形の見事さから王地山焼屈指の名品とされる。亀祐が起こした型はその後も大切に使い続けられた。亀祐の仕事は後年「陶器指南」という磁器製造書にまとめられ、窯の作り方や道具、素地、釉薬の調合法まで図入りで解説されている。
- 外国人の驚き|京都で修行した一人の陶工が、三田焼と王地山焼という離れた2つの藩窯を、京から通いながら同時に指導していたという話に驚く人が多い。もともと人形師の家に生まれた陶工が作った置物の顔の表情が、今も名品として語り継がれている点や、廃藩とともに一度完全に途絶えた窯が、120年近くを経て地元の人々の手で復興したという歴史にも関心が集まる。陶器指南という技法書に、窯の作り方まで図解つきで残されていたことに、当時から技術を後世へ伝えようとした姿勢の高さを感じる人もいる。
- 豆知識|王地山焼は、文政元年(1818年)に篠山藩主・青山忠裕が京焼の陶工・欽古堂亀祐を招いて始めた藩窯で、藩お抱えの窯だったため製品が一般に出回ることは少なく、江戸時代当時から数の少ない「幻の陶磁器」だったといわれる。明治の廃藩とともに一度途絶えたが、亀祐が73歳で世を去ってから150年を迎えた昭和63年(1988年)、発祥の地である王地山に「王地山陶器所」として、廃窯から百十数年ぶりに復興された。現在は緑がかった青磁を中心に、染付や赤絵などが、当時の技法を使って若い職人たちの手で作られている。
もし消えたら、何が失われるのか
| 事業者数(現在) | —(未確認) |
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| 事業者数(ピーク時) | —(未確認) |
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| ピークの年 | —(未確認) |
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| 統計の基準年 | —(未確認) |
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| 後継者不足度 | ★★★★☆ |
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| 統計の出典URL | —(未確認) |
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失われるもの(数字にならないもの)
篠山藩主が京焼の名工を招いて始めた藩窯としての由緒と、青磁を中心とする鎬・面取りの技法、昭和63年に発祥の地で再興された「幻の磁器」と呼ばれる焼き物の系譜
いま直面している問題
藩窯という出自ゆえに元々生産量が少なく、明治の廃藩で一度断絶した歴史を持つことによる知名度・生産基盤の弱さ
出典
産地|兵庫県丹波篠山市(兵庫県) 世界の対比先|欧州
English: Ojiyama-yaki (Ojiyama ware)(Ojiyama-yaki is a celadon-centered porcelain once made exclusively for the Sasayama domain's lord, which vanished with the abolition of the domains in the Meiji era and was revived in 1988 at its original kiln site.)