日本の生業と、世界の似たサービス > 土人形師(垂水人形)
元禄年間(1688〜1704年頃、伝承)
| 日本|土人形師(垂水人形) | 世界|スペインの素朴派陶器人形工房(宗教的・民俗的な意匠を持つ土製人形を、冬場の農閑期の副業として家内制手工業で作る欧州の伝統) | |
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| アプローチ | 元禄年間(1688〜1704年)頃から垂水で作られていたとされ、江戸期には武士の内職として発展した。明治時代初期には帖佐人形にならって本格的に作られ始め、冬の農閑期の副業として明治末期から大正初期に最も盛んになり、大正初め頃は20軒で製作されていたとされる。昭和10年(1935年)頃から廃れ昭和40年(1965年)頃に一度廃絶したが、平成元年(1989年)に垂水人形研究会が結成され再び制作が始まった | 欧州の農村部では、冬の農閑期に家族総出で土人形や木彫りの民芸品を作る家内制手工業の副業文化が各地にあり、垂水人形が武士・農民の冬季副業として発展した点と共通する |
| 使う道具(日本側) | 型、彩色用の絵具・胡粉、素焼き用の窯 | |
| 使う素材(日本側) | 粘土、胡粉、顔料 | |
⚠ 「使う道具」「使う素材」は日本側のみ調べています(世界側は同じ条件で確かめられていないため、 世界側の比較値は作っていません)。
もうひとつの世界の対比例=東欧の冬季農閑期民芸品工房(雪に閉ざされる冬の副業として家族単位で作られてきた素朴な民芸人形の伝統)
垂水人形は帖佐人形という先行する県内の土人形にならって明治期に始まったという『後発として先行産地を模倣し独自化した』成り立ちを持ち、一度完全に廃絶した後、平成元年に研究会が復元したという再生の物語を持つ点が特徴的。この廃絶と復活のサイクルは、同じ鹿児島県内の帖佐人形(昭和40年に保存会が復元)とも共通するパターンである
| 事業者数(現在) | 1 |
|---|---|
| 事業者数(ピーク時) | 確認できていない |
| ピークの年 | —(未確認) |
| 統計の基準年 | 2,025 |
| 後継者不足度 | ★★★★★ |
| 統計の出典URL | https://www.pref.kagoshima.jp/af07/documents/88775_20250327164812-1.pdf |
元禄年間に始まり大正初期には20軒で作られていたとされる垂水人形の歴史と、昭和40年に一度完全に途絶えた後、平成元年に研究会が復元した『廃絶と再生』の物語が失われる
昭和40年(1965年)に一度完全に廃絶した後、平成元年(1989年)の研究会結成で復元されたが、大正期の20軒規模には遠く及ばず担い手は1名にとどまる
産地|鹿児島県垂水市(現在の製作拠点は鹿児島市)(鹿児島県) 世界の対比先|欧州
English: Tarumizu ningyo (Tarumizu clay doll)(Tarumizu ningyo are clay dolls from Kagoshima first made around 1688-1704 as a winter side trade, once produced by some 20 households in the early Taisho era, that died out around 1965 and was revived in 1989 by a dedicated research group.)