日本の生業と、世界の似たサービス > てまり職人(南蛮てまり)
伝承では寛永15年(1638年)。現在の会としての活動は昭和38年(1963年)から
| 日本|てまり職人(南蛮てまり) | 世界|欧州のレース編み・刺繍サークル(喪失や別離の記憶を手仕事に込め、女性たちの集まりを通じて技術を継承してきた欧州の手芸伝統) | |
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| アプローチ | 寛永15年(1638年)、島原の乱で天草四郎が原城で悲運の最期を遂げた際、恋人が四郎を想いながら手まりを作ったのが始まりという伝承を持つ。花柄や幾何学模様を色糸で刺しゅうした装飾用の手まりで、昭和38年(1963年)以降は天草手まりの会を中心とした婦人会が主な担い手となり、約300点の作品を展示する催しも開かれてきた | 欧州では中世以降、女性たちが集まって刺繍やレース編みを行うサークルが各地にあり、亡くなった家族や恋人を偲ぶ喪の手仕事(モーニングエンブロイダリー等)として糸細工を作る文化があった。南蛮てまりの起源伝承と同様、死者への想いを手仕事に込めるという情感が共通する |
| 使う道具(日本側) | もみ殻または綿の芯、色糸、刺しゅう針 | |
| 使う素材(日本側) | もみ殻、綿糸・絹糸 | |
⚠ 「使う道具」「使う素材」は日本側のみ調べています(世界側は同じ条件で確かめられていないため、 世界側の比較値は作っていません)。
もうひとつの世界の対比例=ロシアの手まり刺繍サークル、北米のクエーカー教徒のパッチワークサークル(共同体の女性たちが集い、喪や祈りの記憶を手仕事に込めて継承する手芸文化)
南蛮てまりは島原・天草一揆という日本史上最大級の宗教弾圧・武力鎮圧の悲劇を背景に生まれたとされ、天草四郎という具体的な歴史上の人物への鎮魂の物語を持つ点で、他地域の手まりとは異なる重い歴史性を帯びている。この物語性が、婦人会という共同体の手仕事として現代まで継承される原動力になったとみられる
| 事業者数(現在) | 1 |
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| 事業者数(ピーク時) | —(未確認) |
| ピークの年 | —(未確認) |
| 統計の基準年 | 2,023 |
| 後継者不足度 | ★★★★☆ |
| 統計の出典URL | https://www.pref.kumamoto.jp/uploaded/attachment/213485.pdf |
天草四郎の悲劇を想う恋人が作ったという伝承に由来する南蛮てまりの物語性と、昭和38年から婦人会が守ってきた継承の仕組みが失われる
婦人会中心の継承体制であり、担い手の高齢化とともに、天草四郎という重い歴史物語を若い世代にどう伝えていくかが課題
English: Nanban temari (Amakusa thread ball)(Nanban temari are embroidered thread balls from Amakusa, Kumamoto, said to have begun in 1638 when a woman stitched one while mourning her lover Amakusa Shiro's death at the fall of Hara Castle, still made today by a local women's association.)