日本の生業と、世界の似たサービス > 紙漉き職人(宮地手漉和紙)
慶長5年(1600年)
| 日本|紙漉き職人(宮地手漉和紙) | 世界|欧州の手漉きラグペーパー職人(イタリア・ファブリアーノ等、繊維原料を漉き桁で一枚ずつ手作業で漉く伝統製紙職人) | |
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| アプローチ | 慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦後、加藤清正の求めに応じ柳川藩主・立花宗茂に仕えた紙漉き職人・矢ケ部新左衛門が八代・宮地の中宮川沿いで紙を漉き始めたのが起源と伝えられる。楮とトロロアオイ(ねり)を原料とする流し漉き法を用い、地元産の畳表い草を漉き込んだ和紙も作られてきた | イタリアのファブリアーノは13世紀から続く欧州最古級の製紙都市で、当初は麻ぼろなどを原料に漉き桁で一枚ずつ紙を漉いていたが、後にすき網の目を利用した透かし技法(ウォーターマーク)を生み出すなど独自の発展を遂げた |
| 使う道具(日本側) | 漉き桁(すきげた)、簀(す)、叩解用の道具 | |
| 使う素材(日本側) | 楮、トロロアオイ、畳表い草(一部の製品) | |
⚠ 「使う道具」「使う素材」は日本側のみ調べています(世界側は同じ条件で確かめられていないため、 世界側の比較値は作っていません)。
もうひとつの世界の対比例=韓国のハンジ(韓紙)職人(楮を原料に流し漉きに似た技法で紙を漉く朝鮮半島の伝統製紙)
宮地手漉和紙は加藤家・細川家・松井家という肥後の武家の御用紙として保護されたことで武家文化と結びついた発展をし、地場のい草を漉き込むなど地域資源を積極的に取り込んだ。ファブリアーノは商業都市として交易用の証書・書簡用紙の需要から発展し、透かし技法という独自の付加価値を追求した
| 事業者数(現在) | 1 |
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| 事業者数(ピーク時) | 確認できていない |
| ピークの年 | —(未確認) |
| 統計の基準年 | 2,023 |
| 後継者不足度 | ★★★★★ |
| 統計の出典URL | https://www.pref.kumamoto.jp/uploaded/attachment/213485.pdf |
1600年、関ヶ原合戦の直後に始まったとされる420年余りの紙漉きの歴史と、明治期には約100戸が従事したとされる宮地の紙郷の記憶が失われる
明治期に約100戸あったとされる紙漉き農家が現在1名まで減少しており、流し漉き法の技術継承そのものが危機的な状況にある
産地|熊本県八代市(宮地地区)(熊本県) 世界の対比先|欧州
English: Miyaji handmade washi paper(Miyaji washi is a handmade paper tradition from Yatsushiro, Kumamoto, said to date to 1600, once supporting nearly 100 papermaking households and still made today with kozo fiber using the flowing-mould technique.)