日本の生業と、世界の似たサービス > 陶芸家・窯元(高田焼)
寛永9年(1632年)
| 日本|陶芸家・窯元(高田焼) | 世界|韓国・粉青沙器(プンチョン)の象嵌陶工(白土を素地に象嵌して文様を表す高麗〜朝鮮時代の陶芸技法を今に継ぐ韓国の窯元) | |
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| アプローチ | 1632年、細川忠利の肥後転封に従って渡ってきた朝鮮人陶工・尊楷(上野喜蔵高国)が八代の高田に開窯したのが始まり。青井戸の柔らかな釉調に、白土を埋め込む象嵌技法を組み合わせた独自の意匠を発展させ、1892年には陶石産地の日奈久近くの氷川町へ本拠を移した | 韓国の粉青沙器は高麗青磁の伝統から発展し、素地に印花・象嵌・剥地などの技法で白土文様を表す陶芸で、朝鮮王朝時代に広く焼かれたのち一時衰退し、現代作家が復興させている |
| 使う道具(日本側) | 轆轤、象嵌用の彫刻刀、釉薬用の刷毛 | |
| 使う素材(日本側) | 陶土、白土(象嵌用)、釉薬(灰釉・青井戸釉) | |
⚠ 「使う道具」「使う素材」は日本側のみ調べています(世界側は同じ条件で確かめられていないため、 世界側の比較値は作っていません)。
もうひとつの世界の対比例=ベトナム・ゴーサイン焼などアジアの象嵌陶磁器(東アジア各地に見られる白土象嵌を用いた陶芸の系譜)
高田焼は加藤清正・細川氏という肥後の大名が朝鮮出兵後に連れ帰った陶工を藩の御用窯として保護したことで、朝鮮の技法が肥後の風土(陶石・釉薬原料)と結びつき独自の象嵌様式に発展した。粉青沙器は朝鮮半島内で王朝の変遷とともに様式が変化した点で系譜が異なる
| 事業者数(現在) | 4 |
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| 事業者数(ピーク時) | —(未確認) |
| ピークの年 | —(未確認) |
| 統計の基準年 | 2,023 |
| 後継者不足度 | ★★★★☆ |
| 統計の出典URL | https://www.pref.kumamoto.jp/uploaded/attachment/213485.pdf |
1632年に朝鮮から渡った陶工に始まる約390年の窯の系譜と、青井戸釉に白土象嵌を組み合わせた高田焼独自の意匠が失われる
窯元は上野窯など少数に限られ、13代続く系譜を次世代にどう継承するかが課題となっている
English: Takada ware (Yatsushiro ware)(Takada ware is an inlaid stoneware from Kumamoto founded in 1632 by a Korean potter who followed his lord's transfer to Higo, known for pale ao-ido glazes decorated with white clay inlay patterns.)