日本の生業と、世界の似たサービス > 緞通織り手(赤穂緞通)
江戸時代末期・嘉永2年(1849年、児島なかが考案)
| 日本|緞通織り手(赤穂緞通) | 世界|イラン(ペルシャ)の手織り絨毯職人(何百万もの結び目を手作業で織り込む、世界最古級の絨毯産地) | |
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| アプローチ | 綿糸を用い、際立った紋様を特徴とする手織りの敷物で、全工程を手作業で行う。江戸時代末期の嘉永2年(1849年)、児島なかが中国の織物の美しさに感動し、約30年の試行錯誤の末に考案したのが始まりとされ、明治から大正にかけて高級敷物として海外にも輸出されるほど隆盛を誇った | イランを中心とするペルシャ絨毯は、羊毛を素材にトルコ結び・ペルシャ結びといった結び目を1平方メートルあたり数十万から百万以上も手作業で織り込む技法で発達し、部族・産地ごとに紋様や色使いが体系化された世界最大規模の手織り絨毯産業を築いている |
| 使う道具(日本側) | 手織り機、綿糸 | |
| 使う素材(日本側) | 綿糸 | |
⚠ 「使う道具」「使う素材」は日本側のみ調べています(世界側は同じ条件で確かめられていないため、 世界側の比較値は作っていません)。
もうひとつの世界の対比例=トルコの手織り絨毯・キリム職人(結び目のある絨毯〈ハル〉と平織りの絨毯〈キリム〉の両方を織る、アナトリア地方の伝統産地)
赤穂緞通は一人の女性が独学で考案したという個人発の技術だったため、紋様の際立った独自性を追求する方向に発達した。ペルシャ絨毯は何世紀にもわたる部族・王朝単位の産業として発達したため、結び目の密度や紋様の体系化が極限まで進んだ
| 事業者数(現在) | —(未確認) |
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| 事業者数(ピーク時) | —(未確認) |
| ピークの年 | —(未確認) |
| 統計の基準年 | —(未確認) |
| 後継者不足度 | ★★★★★ |
| 統計の出典URL | https://web.pref.hyogo.lg.jp/sr09/ie07_000000062.html |
鍋島緞通(佐賀)・堺緞通(大阪)と並び『日本三緞通』と称された、児島なか考案の際立った紋様を織り出す技術と、昭和期に一度途絶えながらも平成11年の伝承会発足で守られてきた継承の系譜が失われる
戦争の影響で緞通場が相次いで閉鎖し、戦後の高度経済成長期に手作業の緞通業が衰退した経緯があり、兵庫県公式ページに現状の事業者数の記載はないが、伝承会・生産者の会という保存活動主体の存在自体が、産業としての自立的な継続が難しい段階にあることを示唆する
English: Ako dantsu (Ako carpet)(Ako dantsu is a hand-woven cotton rug craft from Hyogo, invented in 1849 by a woman named Kojima Naka after decades of self-taught experimentation, once exported abroad as a luxury floor covering and now kept alive by a preservation society after nearly disappearing in the Showa era.)