日本の生業と、世界の似たサービス > 土人形師(とやま土人形)
嘉永年間(1848〜1854年、藩主前田利保が広瀬秀信を招き千歳窯を開いた)
| 日本|土人形師(とやま土人形) | 世界|ロシアのディムコヴォ玩具職人(粘土を型に入れ極彩色に彩色する、ヴャトカ地方の伝統的なロシア民芸玩具) | |
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| アプローチ | 型に粘土を詰め、約800度で焼成したのち彩色して仕上げる。嘉永年間(1848〜1854年)、富山藩10代藩主前田利保が名古屋の加藤家の陶工・広瀬秀信を招き千歳窯を開いたのが始まりとされる。当時城下町にはいくつかの土人形店があったが、広瀬家から技術を学んだ渡辺家(1970年創業)のみが家業として継承を続けている | ロシアのディムコヴォ玩具は、粘土を型で成形し、白い下地に赤・黄・緑等の極彩色で幾何学文様を手描きする民芸玩具として、ヴャトカ地方の春祭りと結びついて発達し、豊穣や魔除けを願う民間信仰の対象になった |
| 使う道具(日本側) | 型(木型・土型)、彩色用の絵具・筆 | |
| 使う素材(日本側) | 粘土、顔料 | |
⚠ 「使う道具」「使う素材」は日本側のみ調べています(世界側は同じ条件で確かめられていないため、 世界側の比較値は作っていません)。
もうひとつの世界の対比例=インド・西ベンガル州の土人形職人(素焼きの型を用いて作る、南アジアの伝統的な土製玩具・人形)
富山の土人形は藩主が名古屋から陶工を招くという藩の産業振興策として始まったため、単一の系譜(広瀬家)から技術が伝わる形で継承された。ロシアのディムコヴォは特定の藩・宮廷ではなく、地域の祭礼(春を祝うスヴィストプリャースカ祭)という民衆の信仰行事と結びついて発達したため、複数の家系が並行して担う民芸として広がった
| 事業者数(現在) | 1 |
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| 事業者数(ピーク時) | —(未確認) |
| ピークの年 | —(未確認) |
| 統計の基準年 | —(未確認) |
| 後継者不足度 | ★★★★★ |
| 統計の出典URL | https://www.jtco.or.jp/japanese-crafts/?act=detail&id=308 |
藩主前田利保が招いた陶工・広瀬秀信の技術を、渡辺家という一つの家業だけが守り続けてきた系譜と、素朴で温かみのある色使いで縁起物・玩具として親しまれてきた富山土人形の伝統が失われる
広瀬家の技術を継承する事業者が渡辺家1軒のみとなっており、とやま土人形伝承会が富山市民俗民芸村内の工房で保存・伝承活動を行っているが、量産的な担い手不足という構造的な課題を抱えているとみられる
English: Toyama clay doll (Toyama tsuchi-ningyo)(Toyama tsuchi-ningyo are mold-cast, hand-painted clay dolls that trace to a kiln opened in the 1850s by a Nagoya potter invited by the Toyama domain lord, a tradition now carried on by a single family workshop founded in 1970.)