日本の生業と、世界の似たサービス > 織元(久米島紬)
15世紀にはすでに養蚕が行われていたとみられ、17世紀に琉球王府への貢納布に定められて以降、技術が改良された。1975年に通商産業大臣指定伝統的工芸品となり、2004年に国の重要無形文化財に指定された
| 日本|織元(久米島紬) | 世界|インド・グジャラート州のパトラ(Patola)織元(経糸と緯糸の両方を先染めする「二重絣」で知られる、絣織物の源流とされる伝統) | |
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| アプローチ | 養蚕・糸作り・手くくり絣・染色・手織りに至るすべての工程を一人の織り手が担い、染料は島内自生のサルトリイバラ(グール)等をすべて使い、泥染めも島内で行う。原料と染色のほぼすべてが島内産という点に最大の特色がある | パトラ職人が、経糸・緯糸の両方をあらかじめ縛って防染する「二重絣(ダブルイカット)」技法で、精緻な幾何学・具象文様を織り出す。1枚を織り上げるのに数か月から1年以上を要することもある |
| 使う道具(日本側) | 締機(しめばた、絣糸を織り込みながら仮織りする道具)、高機、泥田(染色用) | |
| 使う素材(日本側) | 絹糸、テーチ木(車輪梅)等の島内自生植物、久米島の鉄分を含む泥 | |
⚠ 「使う道具」「使う素材」は日本側のみ調べています(世界側は同じ条件で確かめられていないため、 世界側の比較値は作っていません)。
もうひとつの世界の対比例=インド・グジャラート州のパトラ(Patola)織元。経緯両方を先染めする二重絣という高度な技法で、絣(イカット)文化の源流の一つとされる点が「日本の絣の源流」とされる久米島紬と重なる
1511年に久米島が琉球王国の侵攻を受け服属すると、税の7割を紬による貢納布として納めるようになった。1619年、尚豊王が技術的な発展を望み越前から坂元普基を招聘し、養蚕や真綿の製法が新たに伝えられた。中国・アジア諸国から伝わった絣の技術が久米島を経て沖縄本島・奄美大島へ、さらに日本全国へ伝播したという説があることから、久米島紬は「日本の絣の源流」とも呼ばれる。1975年に通商産業大臣の指定を受け、2004年には国の重要無形文化財に指定された。原料調達から製織まで一人で完結させ、ほぼすべてを島内産の天然素材でまかなう点は、インド・グジャラート州のパトラ職人が地域固有の技法と天然素材にこだわり抜く姿勢と重なる。
| 事業者数(現在) | 約90名 |
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| 事業者数(ピーク時) | —(未確認) |
| ピークの年 | —(未確認) |
| 統計の基準年 | —(未確認) |
| 後継者不足度 | ★★★★★ |
| 統計の出典URL | https://www.kume-tumugi.com/久米島紬とは/ |
「日本の絣の源流」と呼ばれる技術的な系譜と、養蚕から染色・製織まですべてを一人の織り手・島内産の材料で完結させるという、他に類を見ない自己完結性。
すべて手作業のため年間生産量が約300反規模にとどまる構造的な小ささ、織り手(組合員約90名)の高齢化、後継者不足
English: Kumejima Tsumugi (Kumejima Silk Pongee)(A Kumejima Tsumugi weaver carries out every step alone—raising silkworms, dyeing with island plants and mud, binding the ikat pattern, and weaving—using almost entirely island-grown materials, in a craft said to be the origin point of Japanese kasuri ikat weaving.)