日本の生業と、世界の似たサービス > 浮世絵摺師(木版摺師)
墨一色の浮世絵版画は17世紀後半の菱川師宣の頃に確立され、1765年(明和2年)に鈴木春信らが多色摺りの技法を洗練させたことで色鮮やかな『錦絵』が誕生したとされる
| 日本|浮世絵摺師(木版摺師) | 世界|ヨーロッパの銅版画職人(エングレーバー) | |
|---|---|---|
| アプローチ | 色ごとに彫り分けた複数の木版に水性の絵具を筆で置き、見当(位置合わせの印)に合わせて紙を重ね、馬連(ばれん)で手のひらの力加減だけで摺り込んで多色刷りに仕上げる | 金属板に鋭い針や酸で絵柄を彫り込み、溝に油性インクを詰めてから表面を拭き取り、プレス機の強い圧力で紙に押し付けて溝のインクだけを転写する |
| 使う道具(日本側) | 馬連(ばれん)、彫刻刀(複数種)、見当(位置合わせの刻み)、刷毛 | |
| 使う素材(日本側) | 桜材の版木、和紙、水性絵具(顔料) | |
⚠ 「使う道具」「使う素材」は日本側のみ実測しています(CSVに世界側の対になる列が無いため、 世界側の比較値は作っていません)。
もうひとつの世界の対比例=中国の水印木版(水印木刻)職人。同じく水性の顔料と木版を使う点で技法が近いが、彫りの精密さや紙への摺り方に違いがあるとされるアジア圏の対比先
日本は江戸時代に木材が豊富で、絵師・彫師・摺師が分業する版元制度が発達し、水性絵具と馬連による手加減の摺りで淡い色のグラデーションまで表現する技術が磨かれた。ヨーロッパは金属加工の技術が発達しており、プレス機という機械の圧力で正確に量産する版画技術が発達した。
| 事業者数(現在) | 要取得(東京伝統木版画工芸協同組合・アダチ伝統木版画技術保存財団のいずれの公式サイトにも彫師・摺師の総数の明記は確認できなかった) |
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| 事業者数(ピーク時) | 要取得 |
| ピークの年 | 要取得 |
| 統計の基準年 | 要取得 |
| 後継者不足度 | ★★★★★ ★5(アダチ伝統木版画技術保存財団の紹介記事によれば、明治以降に他の印刷技術が登場したことで伝統木版技術は衰退し、昭和の終わり頃には担い手である職人の後継者が少なくなっていたとされ、財団が1994年に設立され研修制度を設けて若手を育成している状況そのものが、後継者不足が深刻であったことを示している) |
| 統計の出典URL | 要取得 |
馬連一つで色の濃淡やグラデーションを手加減だけで摺り分ける技術と、絵師・彫師・摺師の分業で一枚の浮世絵を作り上げてきた江戸の版元文化。
印刷技術の代替により実需としての浮世絵摺りの仕事量が減少し、一人前になるまでに長期間の修行を要することが後継者確保を難しくしているとされる。
彫師・摺師の現在の人数について、東京伝統木版画工芸協同組合・アダチ伝統木版画技術保存財団のいずれの公式サイトにも総数の明記は確認できず、20〜24列は要取得とした。アダチ伝統木版画技術保存財団は1994年設立で、研修生を『彫師・摺師それぞれ1名程度』募集しているという記載があり、新規養成の規模が非常に小さいことがうかがえる(出典:foundation.adachi-hanga.com)。錦絵誕生の1765年については、鈴木春信を中心に旗本の大久保甚四郎・阿部八之進らが絵暦交換会を通じて多色摺り技術を洗練させたとする説を採用したが、浮世絵の起源自体は17世紀の菱川師宣まで遡るとされ、単一の『始まった年』を特定しにくい点に注意。
産地|東京都新宿区・台東区(江戸木版画)(東京都) 世界の対比先|欧州
English: Surishi (ukiyo-e woodblock printer)(A surishi presses hand-cut wooden blocks loaded with water-based pigment onto paper one color at a time, using only the pressure of a handheld baren to control the shade.)