日本の生業と、世界の似たサービス > 浜士(塩士)・揚げ浜式製塩職人
能登での揚げ浜式製塩は約1,300年前から行われてきたとされ、江戸時代の寛永4年(1627年)に加賀藩主前田利常が専売制を敷き能登一円に奨励したことで産業として広まった
| 日本|浜士(塩士)・揚げ浜式製塩職人 | 世界|フランス・ゲランドの塩田職人(パリュディエ) | |
|---|---|---|
| アプローチ | 塩田に海水を桶で汲み上げて撒き(「揚げ浜」)、天日と砂で水分を蒸発させて塩分の濃い「かん水」を作り、それを大釜で煮詰めて塩の結晶にする | 幾つもの浅い塩田に海水を順々に流し込み、風と天日だけで自然に結晶化させ、水面に浮かぶ最初の結晶「フルール・ド・セル」を専用の道具ですくい取る |
| 使う道具(日本側) | 桶(海水を汲み撒くための道具)、鍬(塩田をならす道具)、大釜(かん水を煮詰める道具) | |
| 使う素材(日本側) | 海水、砂(塩田に敷く)、燃料(釜を焚く薪等) | |
⚠ 「使う道具」「使う素材」は日本側のみ調べています(世界側は同じ条件で確かめられていないため、 世界側の比較値は作っていません)。
もうひとつの世界の対比例=中国海南島の古法製塩職人。天日と手作業による製塩という点で共通するが、揚げ浜式のように海水を撒く工程を持たない点で技法が異なるアジア圏の対比先
能登は雨が多く塩田に海水を留めておく単純な流下式では十分に濃縮できなかったため、砂を敷いた塩田に海水を撒いては乾かす『揚げ浜』という労働集約的な工程が発達した。ゲランドは夏場に乾燥した晴天が続く気候で、塩田に海水を留めるだけで自然蒸発が進むため、煮詰める工程を要しない天日塩の技術が発達した。
| 事業者数(現在) | 1軒 |
|---|---|
| 事業者数(ピーク時) | —(未確認) |
| ピークの年 | —(未確認) |
| 統計の基準年 | 確認できていない |
| 後継者不足度 | ★★★★★ |
| 統計の出典URL | https://www.city.suzu.lg.jp/soshiki/2/1690.html |
海水を人力で汲み上げ撒き続ける「揚げ浜」という重労働の製塩技術と、江戸時代の加賀藩の専売制のもとで能登に根付いた塩づくりの文化。
夏場の炎天下での重労働という負担の大きさ、後継者不足により技術を継承する家が1軒のみに減少していること。
数字はすべて、その場で出典の名前と取得日を添えています。確かめられなかったことは「確かめられなかった」と書いています。
石川県珠洲市の公式サイトによれば、揚浜式とは海水を人力でくみ上げ、砂を敷いた塩田に撒いて塩分濃度を上げ、釜で煮詰めて塩をつくる製法である。藩政期には能登の重要産業として奨励されたが、明治以降は瀬戸内の大規模な入浜式塩田や化学製法に押されて衰退し、昭和33年(1958年)の臨時塩業措置法により、珠洲と輪島に残った3軒を最後にほぼ姿を消したという。その後さらに2軒が廃業し、角花家のみが技術を伝承してきたとされる(珠洲市「能登の揚浜式製塩の技術」、取得日2026-09-15)。角花家は2008年に国の重要無形民俗文化財「能登の揚げ浜式製塩の技術」の指定を受けており、現在は5代目・角花豊さんと6代目・角花洋さんがこの技術で塩をつくっている(珠洲市「能登のはま塩(揚げ浜塩田 角花 豊)」、取得日2026-09-15)。
なお、珠洲市内には「道の駅すず塩田村」に隣接する塩田で揚げ浜式製塩の実演や体験を行う施設もある。この施設の浜士は登谷良一さんで、1996年からこの仕事に携わっているという(奥能登塩田村公式サイト「揚げ浜式製塩の塩づくり」、取得日2026-09-15)。国指定重要無形民俗文化財の担い手として珠洲市公式サイトが紹介しているのは角花家であり、この体験施設が同じ指定を受けているかどうかまでは、この材料の中では確認できなかった。同じ揚げ浜式という製法が、伝統の継承者としての家と、観光・体験のための施設という異なる立場で、それぞれ続けられているとみることができる。
奥能登塩田村の解説によれば、作業は朝5時、仁江海岸で海水を汲み上げるところから始まる。海水を汲む桶は容量約36リットル、これを担ぐための肩荷棒(にないぼう)は長さ約150cmの桐の丸棒である。海水を溜める「引桶(しこけ)」には約800リットルが入り、これを満たすまでに海岸をおよそ10回往復するという。塩田に海水を撒く作業には「潮汲み3年、潮撒き10年」という言葉があり、約600リットルの海水を約40分かけて均等に撒く。夏期はこれを1日2度行う(奥能登塩田村公式サイト、取得日2026-09-15)。塩田1枚の面積は約50坪、165平方メートルにおよぶ。海水を撒き終えるのは朝6時までとされ、その後8時間ほど天日にさらして乾燥させる。乾燥した砂は「柄振(いぶり)」という木製の道具で塩田の中央に集められ、「垂舟(たれふね)」と呼ばれる木箱に入れて海水を注ぎ、砂に付いた塩の結晶をかん水として採る。
かん水は釜屋まで運ばれ、そこから釜炊きが始まる。まず容量約600リットルの平釜で、塩分濃度がおよそ24%になるまで約6時間かけて煮詰める「荒焚き」を行う。荒焚きしたかん水は一日ほど冷まし、竹炭・黒炭・砂を層にした「胴桶(どうけ)」でろ過してから、再び釜いっぱいにして16時間ほど煮詰める「本焚き」に入る(奥能登塩田村公式サイト、取得日2026-09-15)。焚きあがった塩はそれで終わりではない。「い出場(いでば)」または「塩床(しおどこ)」と呼ばれる貯蔵場で4日間寝かせ、苦汁(にがり)を落としてから、ようやく選別・梱包の工程に入る。撒く作業から梱包まで、少なくとも数日にわたる工程を経ていることになる。
奥能登塩田村のページには「約600リットルの海水から、120kgの塩ができます」という記述がある(同、取得日2026-09-15)。海水は天日と釜での煮詰めによって水分をほとんど蒸発させ、塩分だけを結晶として残す作業である。桶で10回海岸を往復して汲んだ海水も、40分かけて塩田に撒いた海水も、その大半は最終的に空へ蒸発していく。残るのはごくわずかな塩の結晶だけであり、この歩留まりの低さこそが、揚げ浜式製塩が労働集約的な仕事だとされる理由の一つになっている。
本焚きが進むと、釜の表面にはソフトボールほどの大きさの塩の結晶(塩の山)が並ぶ。焚き詰めるにつれてこの結晶の形は「八重桜」のような形に変わり、さらに「とんがりボウシ」と呼ばれる尖った形になった時点で、火を止める。その後20分から30分ほど余熱を加えて、本焚きが終わるという(同、取得日2026-09-15)。温度計や計量器の数値ではなく、炎の様子、余熱の予測、そして塩の結晶の形の変化という要素だけを頼りに火を止めるタイミングを見極める。このわずかな判断の違いが、塩の味と風味と品質を決めるとされている。薪には火が柔らかい杉の間伐材を主に使い、沸騰するまでは火力の強い松の木を使うという使い分けもある。薪を切り出すこと自体も浜士の仕事の一つだという。
始まった時期について、資料によって示す長さに幅がある。珠洲市公式サイトが紹介する角花家についての別の記述には、この製塩が「500年以上続いている」という表現がある一方、能登での揚げ浜式製塩そのものは「約1,300年前から行われてきた」とも伝えられている。どちらも一次資料の中に見られる表現だが、対象としている期間が異なっており、この材料の中でどちらか一方が正確でもう一方が誤りだと判断することはできない。より確実に言えるのは、江戸時代の寛永4年(1627年)に加賀藩主・前田利常がこの製法を専売制のもとで能登一円に奨励し、産業として広く根づかせたという点である。
珠洲市公式サイトによれば、揚浜式は藩政期には能登の重要産業として奨励されたが、明治以降、瀬戸内の大規模な入浜式塩田や化学製法に押されて衰退の一途をたどったという。決定的だったのが昭和33年(1958年)の臨時塩業措置法で、この法律の施行により、珠洲と輪島に残っていた3軒を最後に、この製法は全国からほぼ姿を消した。その後さらに2軒が廃業し、角花家のみが幾多の困難を乗り越えて技術を伝承してきたとされる(珠洲市「能登の揚浜式製塩の技術」、取得日2026-09-15)。この「3軒」は最盛期の軒数ではなく、法律の施行によって選別された後に残った数である。それ以前、最も多かった頃に何軒がこの製法で塩をつくっていたのかを示す一次資料は、この調査の中では見つけられなかった。
同じく海水から天日で塩をつくる仕事は、フランス・ゲランドの塩田職人(パリュディエ)にもある。ゲランドでは、いくつもの浅い塩田に海水を順々に流し込み、風と天日だけで自然に結晶化させ、水面に浮かぶ最初の結晶「フルール・ド・セル」を専用の道具ですくい取る。能登の揚げ浜式のように、人力で海水を汲んで塩田に撒く工程は、ここには存在しない。この違いが生まれた背景には気候がある。能登は雨が多く、塩田に海水を留めておくだけの単純な方式では十分に濃縮できないため、砂を敷いた塩田に海水を撒いては乾かすという労働集約的な「揚げ浜」の工程が発達した。一方のゲランドは夏場に乾燥した晴天が続く気候であり、塩田に海水を留めるだけで自然蒸発が進むため、煮詰める工程を必要としない天日塩の技術が発達したとされている。
産地|石川県珠洲市(揚げ浜式製塩)(石川県) 世界の対比先|欧州
English: Hamashi (agehama salt maker)(A hamashi scoops seawater onto a sand-covered salt field by hand and lets the sun evaporate it, then boils the concentrated brine down into salt crystals.)