日本の生業と、世界の似たサービス > 仏壇職人(大阪仏壇)
552年に百済から仏工・造寺工が渡来したのが起源と伝えられ、江戸時代に商都大阪の職人技として本格的に発達したとされる。1982年〈昭和57年〉に国の伝統的工芸品指定
| 日本|仏壇職人(大阪仏壇) | 世界|ドイツの家庭用祭壇(Hausaltar、私的な礼拝のための扉付き木製祭壇家具) | |
|---|---|---|
| アプローチ | 黒塗りを基調とした金仏壇に、框の金具型を高蒔絵で仕上げることで金属部品をできるだけ排し錆による汚れを防ぐ。支え柱を持たず吊束方式で三方向に開く「三方開」構造は日本唯一の形式とされ、極めて高い構造精度を要する | 木製キャビネットの内部に彫刻・絵画で聖人像を配置し、両開きの扉で普段は閉じておく祭壇型家具を作る(家具職人と画家の分業) |
| 使う道具(日本側) | 鉋、彫刻刀、蒔絵筆、鏨(金具の模様打ち出し用) | |
| 使う素材(日本側) | 木材、漆、金粉(蒔絵用)、銅・真鍮(金具用) | |
⚠ 「使う道具」「使う素材」は日本側のみ調べています(世界側は同じ条件で確かめられていないため、 世界側の比較値は作っていません)。
もうひとつの世界の対比例=フィリピンの「ウルナ(urna)」(聖人像を納めるガラス扉付きの木箱、カトリック家庭で日々の祈りの対象として飾る文化)
552年に百済から仏工・造寺工が難波津に渡来したのが仏教美術の始まりと伝えられ、15世紀後半に蓮如上人が大阪に石山本願寺を創建して以降、浄土真宗の拠点として発達した。江戸期には商都大阪の商人がその財力で京都に発注せず地元の職人に仏壇を作らせたことも産地形成を後押ししたとされる。欧州は宗教改革前後の富裕な家庭が私的な礼拝の場を求め、教会祭壇を小型化した家具として発達させた
| 事業者数(現在) | —(未確認) |
|---|---|
| 事業者数(ピーク時) | —(未確認) |
| ピークの年 | —(未確認) |
| 統計の基準年 | —(未確認) |
| 後継者不足度 | ★★★★☆ |
| 統計の出典URL | —(未確認) |
支え柱を持たず吊束方式で三方向に開くという、日本で唯一とされる「三方開」構造の高度な設計・組立技術と、金属を排して錆を防ぐという高蒔絵の意匠
核家族化・住宅の洋室化による仏間を持つ家庭の減少、三方開構造等の高難度技術の継承
English: Osaka Butsudan (metal-free maki-e-fitted altar)(Osaka butsudan replaces most metal fittings with gilded maki-e lacquer painting to avoid rust, and some open on three sides through a post-free suspended-frame structure said to be unique to this altar.)