日本の生業と、世界の似たサービス > 藍染織職人(播州山崎藍染織)
江戸時代から藍染めが盛んだったとされるが、いったん途絶えかけた後、昭和53年(1978年)に本建て発酵建ての製法で復活した
| 日本|藍染織職人(播州山崎藍染織) | 世界|ドイツ・チューリンゲン地方のウォード(大青)染め職人(合成藍の登場でほぼ絶滅し、近年小規模な復興が試みられている欧州の天然藍染めの系譜) | |
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| アプローチ | すくも(藍の葉を発酵させた染料原料)を灰汁で発酵させる「本建て」という手間のかかる伝統製法で藍を建て、着物地やテーブルセンターなどに織り上げる | チューリンゲンの職人(歴史的存在。現在は小規模な復興の試みが中心)が、ウォード(大青)という藍とは別の植物から同様の青色染料を発酵によって取り出し、中世ヨーロッパで「青い金」と呼ばれた染織品を作った |
| 使う道具(日本側) | 藍甕(あいがめ)、灰汁、高機 | |
| 使う素材(日本側) | 藍(すくも)、木綿糸・絹糸 | |
⚠ 「使う道具」「使う素材」は日本側のみ調べています(世界側は同じ条件で確かめられていないため、 世界側の比較値は作っていません)。
もうひとつの世界の対比例=インド・ビハール州の藍(インディゴ)栽培・染色職人(藍染めの語源ともなった、歴史的に世界最大の天然藍産地の系譜)
播州山崎は良質な水と藍の栽培に適した土壌に恵まれ江戸期から藍染めが盛んだったが、化学染料の普及でほぼ途絶えかけた後、昭和53年(1978年)に正木國枝氏がほぼ一人で本建て発酵建ての藍染織を復活させたという、産地存続の危機とその後の個人の力による再生という特殊な経緯を持つ。ヨーロッパのウォード染めも合成藍の発明(1897年)で産業として絶滅した後、近年になって一部の職人・研究者による小規模な復興が試みられている点で、化学染料に一度は駆逐された藍という共通の運命をたどった
| 事業者数(現在) | 確認できていない |
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| 事業者数(ピーク時) | —(未確認) |
| ピークの年 | —(未確認) |
| 統計の基準年 | —(未確認) |
| 後継者不足度 | ★★★★★ |
| 統計の出典URL | https://web.pref.hyogo.lg.jp/sr09/ie07_000000047.html(兵庫県公式、取得日2026-08-18) |
昭和53年(1978年)にほぼ途絶えかけていた藍染織を一人の職人が本建て発酵建てで復活させたという再生の物語と、合成染料に一度は駆逐された天然藍がヨーロッパにも同じ運命をたどった過去を持つという世界共通の背景
実質的な担い手がごく少数とみられること、天然藍の本建て発酵という手間のかかる製法の継承者確保、知名度の低さ
English: Banshu Yamasaki indigo weaving (Banshu Yamasaki aizome-ori)(A Banshu Yamasaki weaver ferments indigo leaves into dye by hand and weaves the thread into cloth, a craft one individual almost single-handedly revived in 1978 after it had nearly died out.)