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凧職人(三条凧)世界の似たサービス ─ 西洋のスポーツカイト職人(リップストップナイロン製の曲芸凧製作者)

1847年(弘化4年)創業の須藤凧屋が初代・須藤幸七の代から6代続く。三条の凧合戦自体は信濃川の川普請の完成を祝う祭礼として江戸期に始まったとされる

共通の目的骨組みに布や紙を張り、風を受けて空へ揚げる道具を作る

やり方が、どう違うのか

日本|凧職人(三条凧)世界|西洋のスポーツカイト職人(リップストップナイロン製の曲芸凧製作者)
アプローチ軽量なグラスファイバーやカーボンの骨に、破れにくいリップストップナイロンを張り、複数の糸(デュアルライン・クアッドライン)で操縦して曲芸飛行を行う
使う道具(日本側)
使う素材(日本側)

⚠ 「使う道具」「使う素材」は日本側のみ調べています(世界側は同じ条件で確かめられていないため、 世界側の比較値は作っていません)。

もうひとつの世界の対比例=インドネシア・タイの闘凧(ガラス粉を塗った糸で相手の凧糸を切る競技凧、糸を切り合う発想が近い参考比較)

なぜ違いが生まれたのか

三条の凧合戦は、信濃川の氾濫による川普請(堤防工事)の完成を祝う祭礼として、大人数で戦わせる娯楽として発達し、丈夫で作りやすい竹と和紙の組み合わせに落ち着いた。西洋のスポーツカイトは20世紀後半の合成素材の登場とともに、個人が操る曲芸性能を追求する方向に発達した

五感で味わう価値・職人のこだわり

もし消えたら、何が失われるのか

事業者数(現在)—(未確認)
事業者数(ピーク時)—(未確認)
ピークの年─
統計の基準年─
後継者不足度★★★★★
統計の出典URL─

失われるもの(数字にならないもの)

200年以上続く凧合戦の祭礼文化と、六角巻凧という独自の形状を作る技術が失われる

いま直面している問題

専業の凧職人が実質1軒のみという極端な集中、後継者確保

もっと詳しく|いま、この仕事はどうなっているのか

数字はすべて、その場で出典の名前と取得日を添えています。確かめられなかったことは「確かめられなかった」と書いています。

「凧屋が1軒だけ」というのは、誰が言っていることなのか

新潟県三条市の須藤凧屋は、自社サイトで「昭和初期には、この地に12軒の凧屋がありましたが、今現在、1軒となりました」と説明している(須藤凧屋公式サイト、取得日2026-09-15)。1847年(弘化4年)の創業から数えて現在6代目にあたる須藤謙一さんが、初代・幸七から続く家業を継いでいるという(同、取得日2026-09-15)。ただしこの「12軒から1軒に」という数字は須藤凧屋自身の説明であり、市や県、業界団体が公式に集計した数字としては、今回の材料の中に見当たらなかった。新潟県のホームページも、6月に開かれる「三条凧合戦」で使われる凧について「その合戦に使用される全ての凧を当社で製作されています」と記しており(新潟県ホームページ「三条六角巻凧(さんじょうろっかくまきいか)」、取得日2026-09-15)、少なくとも祭礼で使う凧を一手に引き受けているのは須藤凧屋であることは、行政のページからも確認できる。

三条凧合戦は、いつから始まったのか

三条市のホームページによれば、三条凧合戦の起源は1649年(江戸時代・慶安2年)にさかのぼる。三条町が村上藩の所領となった際、藩の陣屋(藩庁が置かれた屋敷)が端午の節句に藩主の名君ぶりを祝って四角い凧を揚げたのが始まりで、これがやがて毎年の節句の慣例になったという(三条市「新潟県指定無形民俗文化財『越後の凧合戦習俗』三条凧合戦」、取得日2026-09-15)。同じページには、この凧揚げが陣屋と町方(町民)の対抗戦へと発展していった経緯も記されている。陣屋方は100枚張から200枚張という大凧を、農家の働き盛りの者を雇って揚げていたのに対し、町方は2、30枚から5、60枚という比較的小さな凧しか作れず、当初は毎年負け続けていたという。

なぜ「六角形」の凧が生まれたのか

同じく三条市のページによれば、負け続けた町方はやがて全町で凧を奨励し、幾百もの凧で陣屋の凧を包囲攻撃するようになり、糸を切る技術も磨いた結果、数年のうちに町方が勝つようになったという。陣屋方も四角凧が合戦に不利だと察し、形を六角形に改めたことで、三条の凧合戦は現在の形に近づいていったとされる(同、取得日2026-09-15)。三条六角巻凧を製作する須藤凧屋自身も、陣屋が体力のある若者を雇って大きな凧を作ったのに対し、町方はお年寄りや女性が中心で小さな凧しか作れなかったため、「小さい凧が大きい凧に勝てる方法はないか」という工夫から六角形が生まれたと説明している(新潟県ホームページ「三条六角巻凧」、取得日2026-09-15)。細部の描写は資料によって少し違うが、「小さな凧が大きな凧に勝つための形」という核心は共通している。

三条凧合戦は2015年(平成27年)3月24日、新潟県指定無形民俗文化財「越後の凧合戦習俗」として、三条市上須頃の三条凧合戦、新潟市南区の白根大凧合戦、見附市今町・長岡市中之島の今町・中之島大凧合戦の3つがまとめて指定された(三条市、取得日2026-09-15)。凧合戦が都道府県指定の文化財になっている例は全国で2例しかないという(同、取得日2026-09-15)。

六角巻凧の中身は、何でできているのか

須藤凧屋の説明によれば、六角巻凧は竹三本(横骨二本、中骨一本)、糸(縁糸・はなお糸・弓糸)、和紙、染料、糊で作られている。中骨を外すことができ、外すと小さく巻けることから「六角巻凧」と呼ばれる(須藤凧屋公式サイト、取得日2026-09-15)。巻いて持ち運べるため携帯性があり、六角形という形状のおかげで少ない風でも揚がり、操作性にも優れているため、激しい空中戦を展開できるという(同、取得日2026-09-15)。新潟県のページによれば、横骨に使う矢竹(やだけ)は節の隆起が少なく節間の長い竹で、骨組みづくりに始まり、和紙を貼り合わせて完成品の大きさにする「紙継ぎ」、骨組みと和紙を張り合わせる「白凧貼り」、絵付け、糸を結び付ける「鼻緒立て」という順で、すべての工程が手作業で行われる(新潟県ホームページ「三条六角巻凧」、取得日2026-09-15)。

すべての工程を、なぜ一人でやるのか

新潟県のインタビューページで、須藤謙一さんは「骨組みの組み立てから凧の絵付けまですべて一人で行います。凧合戦前の2月から5月は特に忙しくて、70枚から多くて120枚の凧の注文がきますね」と話している。大きなサイズの凧は1日3枚のペースで仕上げるという(新潟県ホームページ「一人で六角巻凧の生産を担う 須藤凧屋 須藤謙一さん」、取得日2026-09-15)。絵付けには布用の染料を使い、和紙の繊維の穴を塞がないことで通気性を保ち、軽くて揚がりやすい凧に仕上げるという。代々受け継がれてきた見本帳をもとに、凧の大きさが変わっても崩れない武者絵を描いているが、「いまだに繊細さの表現が重要な女性の絵を描くのは緊張します」とも語っている(同、取得日2026-09-15)。須藤さんは以前、民間企業に勤めながら夜に凧を作る生活を続けており、2018年3月に専業になった。2019年8月には、外交関係樹立30周年を迎えたアゼルバイジャンの在日本大使館に招かれ、同国の2都市で三条凧合戦を披露したという記録も残る(同、取得日2026-09-15)。

合戦の勝敗は、どう決まるのか

三条市のページによれば、三条凧合戦は現在、町内・組・クラブチームなど20組が参加し、抽選で赤組・白組に分かれ、土曜・日曜で陣地を入れ替えて戦う。風下側は糸が短くコントロールしやすいため有利とされる。合戦に使う六角凧は30枚張以上であれば大きさに制限はないが、扱いやすさから30枚張・50枚張が主流だという。得点は、相手の凧を落とせば1点、相手の糸を切れば3点、空中高く揚がった相手の凧を擦り切って飛ばせば5点で、2日間の合計点で順位を決める(三条市「新潟県指定無形民俗文化財『越後の凧合戦習俗』三条凧合戦」、取得日2026-09-15)。相手の糸を切るために金属やガラス片を糸に入れることは禁止されており、違反すれば失格または退場になるという(同、取得日2026-09-15)。

出典

出典

産地|新潟県三条市(新潟県) 世界の対比先|欧州

English: Sanjo rokkaku-dako (Sanjo hexagonal fighting kite)(A Sanjo kite maker bends bamboo strips into a hexagonal frame and papers it with washi, building the fighting kites used in a centuries-old kite-battle festival on the Shinano River.)