日本の生業と、世界の似たサービス > 漆器職人(香川漆器)
寛永15年(1638年)、高松藩主・松平頼重が漆器・彫刻を奨励したことに始まる。江戸後期に玉楮象谷が中国伝来の技法に独自の工夫を加え、現在の5技法の基礎を確立した
| 日本|漆器職人(香川漆器) | 世界|中国・福州の脱胎漆器職人(彫漆・存清など、漆を彫り込み文様を出す技法の系譜) | |
|---|---|---|
| アプローチ | 蒟醤(きんま)・存清(ぞんせい)・彫漆(ちょうしつ)・後藤塗・象谷塗という5技法が国の伝統的工芸品に指定され、中国・東南アジア伝来の技法を玉楮象谷が独自に発展させた | 福州の職人が、麻布と漆を幾重にも重ねて成形した「脱胎」の素地に、朱漆を彫り込んで文様を出す彫漆(剔紅等)を施す |
| 使う道具(日本側) | 漆刷毛、彫刻刀(蒟醤・彫漆用)、へら | |
| 使う素材(日本側) | 漆、麻布(脱胎素地用)、木地 | |
⚠ 「使う道具」「使う素材」は日本側のみ調べています(世界側は同じ条件で確かめられていないため、 世界側の比較値は作っていません)。
もうひとつの世界の対比例=ミャンマー・ビルマの漆器職人(蒟醤〈きんま〉の語源とされるタイ語・ビルマ語圏の彫り漆技法との関係が指摘される)
香川漆器は高松藩主・松平頼重が1638年に漆器・彫刻を奨励し、江戸後期に玉楮象谷が中国・東南アジア伝来の技法に独自の工夫を加えて確立した。中国の彫漆は皇帝・宮廷の需要に応じて何百層もの漆を彫り込む技法として発達した。いずれも権力者の保護のもとで技法が磨かれた点は共通するが、香川は東南アジア経由の技法を「地方藩」が独自に育てた点で異なる
| 事業者数(現在) | 確認できていない |
|---|---|
| 事業者数(ピーク時) | —(未確認) |
| ピークの年 | —(未確認) |
| 統計の基準年 | ─ |
| 後継者不足度 | ★★★★☆ |
| 統計の出典URL | ─ |
玉楮象谷が確立した蒟醤・存清・彫漆・後藤塗・象谷塗という5つの国指定技法と、中国・東南アジアの漆文化を独自に消化した香川漆芸の技術体系
5技法の分業を支える職人の高齢化・後継者不足、高価格帯ゆえの市場の狭さ
English: Kagawa lacquerware (Kagawa shikki)(A Kagawa lacquerware artisan carves or inlays elaborate patterns into thick layers of lacquer, using five techniques Zokoku Tamakaji adapted from Chinese and Southeast Asian traditions in the 1800s.)