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西陣織職人(帯匠・織師)世界の似たサービス ─ リヨンの絹織物職人(カニュ、フランス)

京都での織物作りの起源は5世紀頃とされるが、「西陣織」の名は応仁の乱(1467〜1477年)後、西軍の陣地跡で職人が織物作りを再開したことに由来する。室町時代後期に明の技術を取り入れた紋織が確立した。

共通の目的染めた絹糸を織り上げて、格式高い衣装や室内装飾のための豪華な文様織物をつくる

やり方が、どう違うのか

日本|西陣織職人(帯匠・織師)世界|リヨンの絹織物職人(カニュ、フランス)
アプローチ同じく先染めの絹糸を、19世紀にリヨンで発明されたジャカード織機で織り上げ、王侯貴族の衣装や室内装飾用のブロケード(豪華な紋織物)を作る
使う道具(日本側)
使う素材(日本側)

⚠ 「使う道具」「使う素材」は日本側のみ調べています(世界側は同じ条件で確かめられていないため、 世界側の比較値は作っていません)。

もうひとつの世界の対比例=中国・南京の雲錦(うんきん)織職人。金銀糸を用いた豪華な先染め紋織物という点で西陣織に近いが、明・清代の宮廷向け装束(龍袍等)を起源とする点が異なるアジア圏の対比先(一次資料での裏付けは未確認のため参考情報)。

なぜ違いが生まれたのか

応仁の乱(1467〜1477年)後、西軍の陣地跡に職人が戻って再興した際、明から伝わった技術を取り入れて紋織を発案したのが西陣織の直接の起源。フランスでは絹織物の中心地リヨンで宮廷向けの需要に応えるうちにジャカード織機が発明され、両者は別々の系譜で「先染め糸による紋織」という同じ発想にたどり着いた。

五感で味わう価値・職人のこだわり

もし消えたら、何が失われるのか

事業者数(現在)—(未確認)
事業者数(ピーク時)—(未確認)
ピークの年—(未確認)
統計の基準年─
後継者不足度★★★★☆
統計の出典URL─

西陣織推定出荷数量と金額の推移

1975年
205,101,409
1978年
235,046,011
1981年
257,444,443
1990年
279,462,485
1993年
201,400,661
1996年
152,894,614

出典=西陣織工業組合「西陣生産概況」令和5年版PDF、総合計欄、単位=千円(6点。数値は出典の表記のままで、このサイトでは作っていません)。

失われるもの(数字にならないもの)

金銀糸を織り込んだ帯という「歩く美術品」の技術と、応仁の乱後に職人が土地に戻って再興したという西陣の物語そのもの。

いま直面している問題

西陣織推定出荷金額は長期的に縮小傾向(西陣織工業組合統計)。着物・帯の実需縮小、後継者不足、分業制(先染め・製織・仕上げ等の工程ごとに専門業者が分かれる構造)を支える周辺職人の減少。

出典

産地|京都市上京区・北区(西陣地区) 世界の対比先|欧州

English: Nishijin-ori Weaver (Nishijin Textile Craftsman)(A Nishijin-ori weaver hand-weaves pre-dyed silk threads, often shot through with gold and silver, on a jacquard-type loom into elaborate patterned textiles for kimono obi sashes.)