日本の生業と、世界の似たサービス > 漆器職人(大内塗)
室町時代、大内文化の象徴として誕生したとされる。明治時代に一度発見・復興され、大正時代に大内人形が考案された
| 日本|漆器職人(大内塗) | 世界|欧州のジャパニング職人(17〜18世紀フランス・英国、本物の漆が手に入らず代替塗料で漆器の艶を模倣した伝統) | |
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| アプローチ | 「大内朱」と呼ばれる独特の朱色を基調に、大内家の家紋を模した金箔の「大内菱」や秋草模様を手描きの色漆で施す。下塗り・中塗り・上塗りを繰り返し、その都度乾燥させて削る工程を経て完成までに約2ヶ月を要する。丸顔でおちょぼ口の「大内人形」も同じ塗りの技法から生まれた | 漆の木が育たない欧州では本物の漆が手に入らず、代わりにシェラック(ラック虫由来の樹脂)を溶剤に溶かした「ジャパニング」塗料を、乾燥した室内で短期間に塗り重ねて漆器の艶を模倣した |
| 使う道具(日本側) | 漆刷毛、蒔絵筆・箔絵用の道具、研ぎ用の道具 | |
| 使う素材(日本側) | 天然漆、色漆、金箔・金粉・銀粉、木地 | |
⚠ 「使う道具」「使う素材」は日本側のみ調べています(世界側は同じ条件で確かめられていないため、 世界側の比較値は作っていません)。
もうひとつの世界の対比例=ミャンマー・ビルマ漆器(パガン地方、竹の芯に天然漆を塗り重ねる東南アジアの本物の漆文化)
室町時代、山口を本拠とした大内氏の絢爛豪華な「大内文化」の象徴として誕生し、大内氏が朝鮮・中国大陸と行う交易の重要な交易品として扱われたとされる。大内氏の滅亡とともに一時衰退したが、明治時代に郷土史学者・近藤清石が毛利家所蔵の「大内千人椀」を発見したことをきっかけに技法が復興された。漆の木が育たない欧州では代替塗料を発明するしかなかった
| 事業者数(現在) | —(未確認) |
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| 事業者数(ピーク時) | —(未確認) |
| ピークの年 | —(未確認) |
| 統計の基準年 | —(未確認) |
| 後継者不足度 | ★★★★☆ |
| 統計の出典URL | —(未確認) |
大内氏の交易品として海を渡った大内朱・大内菱の意匠と、一度は途絶えかけた技法を明治期の一発見から復興させたという産地の物語
住宅事情の変化による漆器需要の縮小、下塗りから上塗りまで約2ヶ月を要する工程の継承、後継者不足
English: Ouchi-nuri (Muromachi-era trade lacquerware and dolls)(Ouchi-nuri is a Yamaguchi lacquerware once traded with Korea and China by the Ouchi clan, its vermilion ground and gold-leaf clan crest revived from near-loss after a Meiji-era scholar rediscovered an old clan bowl.)