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桐生織職人世界の似たサービス ─ フランス・リヨンの絹織物職人(カニュ)
続日本紀に和銅6年(713年)の記録があり、奈良時代にまで起源をさかのぼるとされる。桓武天皇の時代(8世紀末〜9世紀初)の白瀧姫伝説が機織り技術伝来の由来として伝わる
共通の目的絹糸を織機で織り上げ、帯や着尺等の高級絹織物を作る
やり方が、どう違うのか
⚠ 「使う道具」「使う素材」は日本側のみ調べています(世界側は同じ条件で確かめられていないため、
世界側の比較値は作っていません)。
もうひとつの世界の対比例=イタリア・コモ地方の絹織物職人(産業化された絹織物産地という点で近い参考比較)
なぜ違いが生まれたのか
桐生は関東平野の内陸に位置し、絹の産地でありながら京都から遠かったため、独自に技術革新(ジャカード機の早期導入等)を進める必要があり、機械化・産業化に積極的な織物産地として発達した。リヨンも王室需要を背景に技術革新の中心地となった点で発想が近いが、桐生は「江戸への供給地」という実需から機械化に向かった
五感で味わう価値・職人のこだわり
- 出会える舞台・空間|群馬県桐生市内に残るノコギリ屋根の織物工場群。昭和期に数多く建てられ、屋根が連続する独特の外観は今も市内で見られる。旧桐生織物会館を改称した桐生織物記念館は国の登録有形文化財に指定されており、企画からデザイン、撚糸、染め、織、編み、刺繍、縫製までの工程が集積した繊維産地としての歴史を伝えている。旧模範工場桐生撚糸合資会社事務所棟を活かした絹撚記念館など、撚糸業の歴史を伝える近代化遺産も市内に残る。
- 五感|伝統的工芸品としての桐生織には、もじり織、お召織、緯錦織、経錦織、経絣紋織、浮経織、風通織という七つの技法が指定されている。生糸を精練して染めた色糸は、たて糸を開口させてよこ糸を通し筬で打ち込んで織られ、最後に生機を蒸気で整えて風合いを仕上げる。技法によって光沢や地風、透け感、厚みがそれぞれ異なる手ざわりになる。
- 異常なこだわり|生糸から製品になるまでには、撚糸、染色、糸繰り、整経、管捲き、企画・図案、意匠、紋紙、ジャカードの機拵え、機織、整理という多くの工程を経る。意匠図を方眼紙に写し取り、ジャカード機の動きを制御する紋紙という穿孔カードを作る工程まで独立して分業されており、一反の織物ができるまでに数十人もの職人がかかわるとされる。伝統的工芸品の指定では、主として日常生活で使われること、製造工程の主要な部分が手作業であることなど5つの要件を満たす必要がある。
- 外国人の驚き|関ヶ原の戦いの際には、徳川家康の要請でわずか1日のうちに2,410疋もの旗絹を織り出し、東軍に届けたという逸話が残る。太平洋戦争中には織機14,000台以上が供出されたが、戦後の復元計画で3,000台余りを取り戻し、生産を立て直した。最盛期にはお召だけで月に12,000反が生産された時期があり、1959年には富士絹という単一品種が桐生産地で550万メートルという生産量を記録したこともある。現在、桐生織の伝統工芸士としてデザイン・染色・織り・総合の各分野で認定されているのは15名にとどまる。
- 豆知識|桐生の織物は続日本紀に、和銅6年(713年)に上野国の税を絁と定め、翌年に納めたと記されているのが文献上の初出とされ、2014年でこの記載から1300年を迎えた。桐生産地の織物はかつて仁田山絹と呼ばれ、白瀧姫が里人に養蚕と機織りを伝えたという機神伝説(白瀧姫伝説)も残る。元弘3年(1333年)には新田義貞が挙兵した際の軍旗にも桐生の絹が使われ、この幟は「中黒古旗」と呼ばれて平成25年に復元され新田神社に奉納された。1977年(昭和52年)に通商産業大臣から「伝統的工芸品桐生織」の指定を受け、1994年(平成6年)には群馬県ふるさと伝統工芸品にも指定され、2008年(平成20年)には「桐生織」が地域団体商標に登録された。
もし消えたら、何が失われるのか
| 事業者数(現在) | —(未確認) |
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| 事業者数(ピーク時) | —(未確認) |
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| ピークの年 | ─ |
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| 統計の基準年 | ─ |
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| 後継者不足度 | ★★★★☆ |
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| 統計の出典URL | ─ |
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失われるもの(数字にならないもの)
奈良時代から続くとされる産地の歴史と、白瀧姫伝説に象徴される機織り文化、多品種を分業で織り分ける技術体系が失われる
いま直面している問題
着物需要の縮小、海外製の廉価な織物との競合、後継者不足
出典
産地|群馬県桐生市(群馬県) 世界の対比先|欧州
English: Kiryu-ori (Kiryu textile)(A Kiryu weaver produces richly patterned silk textiles in a production town that adopted Jacquard looms earlier than most of Japan, a craft traced back some 1,300 years by legend to a princess named Shirataki.)