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陶芸家・窯元(益子焼)世界の似たサービス ─ イギリスのスタジオポタリー職人(セント・アイヴス、バーナード・リーチ工房の系譜)
嘉永6年(1853年)11月、大塚啓三郎が黒羽藩主から益子陣屋裏山の土地を与えられ築窯したのが始まり。大正〜昭和期に濱田庄司が移住し民藝運動の拠点となった
共通の目的生活に根ざした、厚みと温かみのある日用の器を作る
やり方が、どう違うのか
⚠ 「使う道具」「使う素材」は日本側のみ調べています(世界側は同じ条件で確かめられていないため、
世界側の比較値は作っていません)。
もうひとつの世界の対比例=デンマークのスタジオ陶芸(北欧デザインと結びついた日用陶器の作家産地)
なぜ違いが生まれたのか
益子は濱田庄司とリーチが直接交流し民藝運動の拠点となったことで、日英双方に「用の美」という共通の美意識が育ったが、素材(土・釉薬)と流通(陶器市中心か個人販売中心か)は各地の資源と市場構造に応じて別々に発達した
五感で味わう価値・職人のこだわり
- 出会える舞台・空間|栃木県芳賀郡益子町益子4352-2の益子焼協同組合を中心に、大字益子706-2の益子焼窯元共販センター(昭和41年オープン、春と秋に陶器市を開催)、濱田庄司邸の一部を公開する益子参考館(昭和52年オープン)、平成5年開館の陶芸メッセ・益子(益子陶芸美術館)が町内に点在する。陶芸体験教室よこやま(益子町益子3527-7、営業時間9時から17時、最終受付15時、定休日は毎週月曜日)のように、ろくろ体験ができる窯元もある。
- 五感|益子産の陶土は製造方法により「水簸土」「絞り土」などに分類され、粗目の砂気があり素朴で温かみのある柔らかい風合いを持つ。柿釉(かきゆう)や並白釉(なみじろゆう)の掛け流しによる力強い美しさに加え、白化粧土を塗った器の白さと下地の黒褐色との対比、半乾燥の段階でスポイドを使って描く「イッチン技法」の絵付けなど、工程ごとに色合いと質感が変わっていく。
- 異常なこだわり|陶土は単一の種類で使うことも、数種類をブレンドして使うこともあり、配合は作品によって異なる。水分量を調整しながら手練りで空気を抜く土練りは、練り上がった土の状態が菊の模様に見えることから「菊練り」と呼ばれる。窯詰めでは火の通りを考えながら熟練陶工が器を並べ、約30時間かけて1,250℃まで温度を上げたのち、薪を窯に投入して穴を塞ぎ、煙を充満させることで器の鉄分を黒褐色に変化させる窯焚きは、熟練の感覚に頼るとされている。窯出し後は突起物やひびがないか一つずつ確かめ、食卓で傷がつかないよう高台を丁寧に研磨してから出荷される。
- 外国人の驚き|民芸運動を進めた濱田庄司は「京都で道をみつけ、英国で始まり、沖縄で学び、益子で育った」と書き残しており、一つの土地に根ざした益子焼が実は各地の技術を経て育ったものであることがうかがえる。1946年に濱田庄司門下に入った島岡達三は、独自の「縄文象嵌」という技法の世界を築き、1962年に日本民芸館賞、1996年には重要無形文化財保持者の認定を受けている。濱田庄司自身も1955年に第1回の無形文化財保持者に指定され、1968年には文化勲章を受章している。
- 豆知識|益子焼は江戸時代末期、笠間で修行した大塚啓三郎が窯を築いたことに始まるとされる。安政2年(1855年)には黒羽藩の郷奉行・三田称平が益子焼を保護奨励し、明治4年(1871年)の廃藩置県で御用窯から民窯へと移行した。大正12年(1923年)の関東大震災では東京での日用品不足から需要が急増したという記録も残る。昭和54年(1979年)8月3日には国の伝統的工芸品に指定された。町外から陶芸を志す若者も多く、加守田章二は高村光太郎賞など有力な賞を受賞している。
もし消えたら、何が失われるのか
| 事業者数(現在) | 確認できていない |
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| 事業者数(ピーク時) | —(未確認) |
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| ピークの年 | —(未確認) |
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| 統計の基準年 | ─ |
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| 後継者不足度 | ★★★☆☆ |
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| 統計の出典URL | ─ |
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失われるもの(数字にならないもの)
嘉永6年(1853年)の開窯以来、日用雑器から出発し濱田庄司の民藝運動で「用の美」の産地として世界に知られるようになった歴史
いま直面している問題
後継者不足、作家性が強く産地としての統一ブランドを打ち出しにくい構造、陶器市への来場者依存
出典
産地|栃木県益子町(栃木県) 世界の対比先|欧州
English: Mashiko ware (Mashiko yaki)(A Mashiko potter throws thick, warm-toned everyday stoneware in a town that became a world center of the mingei folk-craft movement through Shoji Hamada's collaboration with Bernard Leach.)